父母
血の繋がらない姉、兄と私の3人で父母が他界した場合、遺産はどう分けるのが妥当?父名義の土地に私夫婦で二世帯住宅建てようとした矢先に、姉にトラブルが発生。そして兄が…
両親ともA型なんだけど、最近調べたら俺の血液型AB型だったんだよね。AとAからABなんて生まれないよね。妹は2人ともA型。俺だけハーフっぽい顔してるし…これってつまり…?
当時高校生だった母にイギリス人の父が一目惚れ。母方祖父母の理解が得られず2人は駆け落ち→私が小4の時、父方祖父母と母方祖父母が同時にアポ無し凸してきた!→結果…
私の修羅場。今でも泣きたくなる。年齢は私の修羅場当時のもの
私→10歳 小学校4年生
妹→7歳 小学校1年生
母→28歳
父→35歳 イギリス人。
母は高校生のときにイギリス人の父と出会った。
小さな美術館で父が母に一目ぼれして、程なくして二人は交際に発展。
母の両親(以下、母祖父母)は本当に頑固で厳しく、裕福な家庭では無かったがまるでお嬢様にセレブのしきたりを教え込むような躾をしてきた。
そんなんだから母は彼氏ができたことは両親に一切言わなかった。
祖父母が厳しく選定し別れさせられるのがわかっていたから。
とある日、母は17という若さで私を妊娠。
1週間に2度、たったの1時間の逢瀬で私を孕んでしまった。
もちろん祖父母は大激怒。父の両親(こちらも私の祖父母。以下父祖父母)に抗議しようとしたが、イギリス本土に住んでいるし英語ができないので断念。
母は勘当された。父は母を連れて駆け落ちした。
ここまでが前提。
私→10歳 小学校4年生
妹→7歳 小学校1年生
母→28歳
父→35歳 イギリス人。
母は高校生のときにイギリス人の父と出会った。
小さな美術館で父が母に一目ぼれして、程なくして二人は交際に発展。
母の両親(以下、母祖父母)は本当に頑固で厳しく、裕福な家庭では無かったがまるでお嬢様にセレブのしきたりを教え込むような躾をしてきた。
そんなんだから母は彼氏ができたことは両親に一切言わなかった。
祖父母が厳しく選定し別れさせられるのがわかっていたから。
とある日、母は17という若さで私を妊娠。
1週間に2度、たったの1時間の逢瀬で私を孕んでしまった。
もちろん祖父母は大激怒。父の両親(こちらも私の祖父母。以下父祖父母)に抗議しようとしたが、イギリス本土に住んでいるし英語ができないので断念。
母は勘当された。父は母を連れて駆け落ちした。
ここまでが前提。
父親の不倫で相手が妊娠したので両親が離婚。私「貧乏になるの?(泣」母「慰謝料貰ったし、毎月お父さんがお金送ってくれるから」→母の葬式の席で泣きながら父が語った真実に呆然…
両親が小学生の頃に離婚
原因は父親の不倫と相手の女が妊娠して
出産したのが男の子だったから(うちは女姉妹のみ)
離婚した時中途半端に知識があった私と妹は
「離婚したら貧乏になるの?」
「学校にいけなくなる?」
と母親に泣きながら聞いたら
母親は笑いながら
「ちゃんと慰謝料ももらったし毎月お父さんがお金送ってくれるから大丈夫。
あんたたちは安心して毎日学校にいきなさい」と言ってくれた
年に何度か父親に会う面会日もあったけど、
父は仕事が忙しく海外にいっており、
滅多にあうことはできなかったが
毎回私と妹にプレゼントを贈ってきてくれていた
たまに会った時はなんだか緊張して
あんまり話はできなかったけれど、
凄く優しい父だった
…と思っていたが、私が大学を卒業した頃に父が倒れ、
体に麻痺が残ってしまい相手の女からは見捨てられ
(何と籍はいれてなかったらしい…)
病院から突然連絡があり仕方なく父を引き受け
介護し続けた母は二年後に父と同じ病気で倒れそのままタヒ亡
その葬式の席で父は泣きながら私と妹に教えてくれた
実は自分は借金までしていて、慰謝料どころか
養育費も一円も送ったことはなかったこと
面会日も滅多にいかなかったのは借金取りに追われていて、
それを返済し終えてやっと会う余裕ができたが
その間プレゼントなんて一度も送っていなかった
ただ、母親が「貴方が送ったことにしてあるから話をあわせてくれ」と父に頼み父は一日だけ「良い父親」を演じていたこと…など
悪かった、後悔している、そう泣きながら詫びる父親が
たまにチラッとこっちを試すような目でみていて
多分こうやって告白して後悔してる自分を見せることで、
これからの介護を娘に頼もうとしてるんだろうな、と判った
知らなきゃよかったよ…
原因は父親の不倫と相手の女が妊娠して
出産したのが男の子だったから(うちは女姉妹のみ)
離婚した時中途半端に知識があった私と妹は
「離婚したら貧乏になるの?」
「学校にいけなくなる?」
と母親に泣きながら聞いたら
母親は笑いながら
「ちゃんと慰謝料ももらったし毎月お父さんがお金送ってくれるから大丈夫。
あんたたちは安心して毎日学校にいきなさい」と言ってくれた
年に何度か父親に会う面会日もあったけど、
父は仕事が忙しく海外にいっており、
滅多にあうことはできなかったが
毎回私と妹にプレゼントを贈ってきてくれていた
たまに会った時はなんだか緊張して
あんまり話はできなかったけれど、
凄く優しい父だった
…と思っていたが、私が大学を卒業した頃に父が倒れ、
体に麻痺が残ってしまい相手の女からは見捨てられ
(何と籍はいれてなかったらしい…)
病院から突然連絡があり仕方なく父を引き受け
介護し続けた母は二年後に父と同じ病気で倒れそのままタヒ亡
その葬式の席で父は泣きながら私と妹に教えてくれた
実は自分は借金までしていて、慰謝料どころか
養育費も一円も送ったことはなかったこと
面会日も滅多にいかなかったのは借金取りに追われていて、
それを返済し終えてやっと会う余裕ができたが
その間プレゼントなんて一度も送っていなかった
ただ、母親が「貴方が送ったことにしてあるから話をあわせてくれ」と父に頼み父は一日だけ「良い父親」を演じていたこと…など
悪かった、後悔している、そう泣きながら詫びる父親が
たまにチラッとこっちを試すような目でみていて
多分こうやって告白して後悔してる自分を見せることで、
これからの介護を娘に頼もうとしてるんだろうな、と判った
知らなきゃよかったよ…